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われわれ救難所員は、ボートを出し救助に向かいましたが、漂流していた二人は、岩場の中に流されていきますのでボートも近づけません。そこで海からの救助をあきらめ、急きょ陸からダイバーによる救助に切り替え、息子さんは救助しましたが、父親は残念な結果になってしまいました。
父親については、漁協、救難所、消防、町内会による数週間に及ぶ必死の捜索にもかかわらず、見つかりませんでした。そして四年たった今でも発見できません。
二人は、いつも救命衣を着用していましたが、当日に限って急いで出漁したため着用しておらず、このような悲惨な結果になったものと思われます。
救助にあたり岸壁では、家族や近所の方々が成り行きをかたずをのんで見守っております。
「父さんと息子を助けてくれ」と私の胸倉にすがり、泣き叫ぶ母さんの姿が今でも脳裏に焼きついております。
この事故以来、最近まで大きな事故もなく、平和な日々が続いております。事故があった直後では救命衣を着用しようと意気が盛り上がるのですが、時間が経つにつれて海難防止に対する意識が薄れてくるように感じました。
周りの仲間を見ると「救命衣は着づらい。作業性が悪い」と言って、着用しない人が多くおりました。自分の命は自分で守り、家族や仲間に迷惑をかけないためにも救命衣の着用は必要なのです。
船に積んでいるだけでは、何の役にも立ちません。常時着用してこそ役立つのが救命衣です。
平成五年のあの時も、いつものように着用していれば、仮に最悪の場合でも行方不明といったことにはならなかったと思います。

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私は、救命衣着用義務化の緊急動議を今年の組合総会で提案したところ、満場一致で議決されました。今では組合員全員が操業中、航海中にかかわらず着用しております。
私はここで、お集まりの皆様方に一言申し添えたいことがあります。それは、会議等でどんなに立派な議題を設けても、どんなにかっこいいことを言っても、命を落としてしまえばすべてが無になってしまうということです。
また他人に「海難事故を起こすなよ。救命衣を着用せよ」などと言うことは、その人のことを思いやっているのです。
漁具の代替えは可能です。船の代替えも可能です。しかし、命の代替えだけはどんなに逆立ちしてもできません。
現在では、非常に着やすく、作業性もよい安全衣が開発されております。海難防止の第一歩はまず救命衣の着用であり、安全なくして生産は成り立ちません。
先ほども申しましたが、自分のためにも家族のためにも、そして仲間のためにも、救命衣を着用して安全操業に努めようではありませんか。

 

 

 

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